coloringname.com
2011年東日本大震災で宮城県看護協会内に設置した現地対策本部で。現地コーディネーターとして活動した(写真提供/石井さん) それは、やはり2011年の東日本大震災です。想定を超えて被害が拡大したため、医療者だけではなく地域の保健に関わる人などが力を合わせて連携をする必要がありました。 災害時は社会や組織の弱い部分が露呈します。平常時は見えないものがポッと出てくる感じですね。人権意識の低さ、ジェンダーギャップなども表れます。避難所で、女性が着替える場所がない、生理用品がないと男性リーダーに言っても、"小さいことでうるさい! 女は黙っていろ"という扱いをされます。真っ暗で暖房もなく、へドロの臭気が立ち込める中で肩を寄せ合い寝ている高齢者を見て、「ここは一体どこの国なんだろう」と思いました。 地域にはしがらみもあるので、状況をよくするには外部の私たちが声をあげるしかない。海外の災害支援活動をする中で、「看護だからできることがある」と確信していましたが、さらに強くなりましたね。この経験から「もっと人間らしい避難所にしたい」と、日本災害医学会で、被災地での実践的な活動を学べる「BHELP(ビーヘルプ)」*というプログラムを立ち上げました。 「BHELP」*とは 「Basic Health Emergency Life Support for Public」の略。日本災害医学会の教育コースで、地域保健・福祉関連業務者が、災害直後から避難所での活動など、効果的に実践するための知識を学べる 看護師という職業を選ぶにあたり、影響されたものはありますか? 認定看護師とは「救急看護」「集中ケア」など、特定分野で熟練した看護技術と知識を有するとして日本看護協会が認定した看護師のこと。救急看護の認定看護師として働いた後、看護研修学校で認定看護師を教育する側に回り、6年間で180人の卒業生を送り出した 男尊女卑のある田舎で育ち、長男だけが親から期待されているような環境でした。高校進学の時に「大学にやるつもりはない。女に学問は必要ない」と宣言されて。閉鎖的な家庭から抜け出すには勉強して自立するしかないと思っていたのに、それさえも閉ざされてしまったのです。 「どの職業なら父は女の子らしいと思うのか」と悩み抜いた末に思いついたのが看護師です(笑)。男性に依存する人生は選びたくなかったんです。「看護師になろう。家から通えないところにしよう」と全寮制の看護学校に進みました。いろいろなジレンマを抱えて看護師になったんですよ。 看護師として働いて3年くらいたった頃、患者の急変にちゃんと対応できないことがあって。「私は何をやっているんだ」と屈辱感と挫折を感じました。患者はさまざまな状況下で「命を救ってほしい」「苦痛を回避してほしい」と思っているのに、それができないのは一人前ではない。救急看護を極めたいと、認定看護師の資格を取得しました。 小・中学生で、災害救急や看護に興味を持つ子がいたら、今やっておくといいことや、その子たちへのメッセージはありますか?
救急看護師とは|日本救急看護学会
2019. 10. 29 わたしのしごと道 [災害医療支援エキスパート](国際医療福祉大学大学院 保健医療学専攻 災害医療分野教授)石井美恵子(いしいみえこ)さん 1962年新潟県生まれ。北里大学病院救命救急センター在籍中、アメリカで災害時の行政・医療対応に関する研修を修了。日本看護協会、北里大学、東京医療保健大学を経て2018年より現職。03年イラン・バム地震、04年スリランカ・スマトラ沖地震、06年インドネシア・ジャワ島中部地震、08年中国・四川大地震、11年東日本大震災、15年ネパール中部地震などの災害支援に携わる。日本災害医学会理事、JICA国際緊急援助隊医療チーム総合調整部会アドバイザー、災害人道医療支援会(HuMA)アドバイザーを務める。 長く災害時の医療支援を続けてこられました。災害医療に興味を持つきっかけとなった出来事は何でしょうか? イラン・バム地震の回復期支援の様子。HuMA(災害人道医療支援会)現地ナースと(写真提供/石井さん) 1995年の阪神淡路大震災ですね。当時、私は北里大学病院の救急救命センターに看護師として勤務していましたが、災害医療には関わっていませんでした。同年に地下鉄サリン事件も起き、アメリカの災害医療システムや危機管理を学ぶプログラムを北里大学が企画。その研修メンバーとしてロサンゼルスに派遣されたのです。すでにアメリカでは専門家が突然の災害への備えや、システム作りなどに取り組んでいました。そこで学んだことを日本に帰って研修で教え、病院の災害対策を作成していました。 そのうち「聞いたことを伝えるだけの教育では、魂が込められない。災害の現場を経験しなければ」と思うようになり、2003年にJICA(国際協力機構)に登録しました。すると、その2週間後にイランで地震が発生。私の夫はイラン人で、イランに2年間滞在した経験があったので「イスラム文化を知っている。ペルシャ語も話せる」と猛アピールしてイランに派遣されました。それが国際的な災害支援活動のスタートです。 災害時の医療は、普段の医療とどのような違いがありますか? ジャワ島中部地震にてJDR(国際緊急援助隊)の活動。トリアージしている様子(写真提供/石井さん) 普段の一般外来や救急外来に来る患者数より、傷病者が急激に多数発生するのが災害の特徴です。ケガだけではなく災害によるストレスで心筋梗塞やエコノミークラス症候群なども増えます。その膨大なニーズに対して、限られた医師、看護師、資源などで対応をしなくてはならないのが災害医療の難しいところです。 ひとつの対策としてトリアージがあります。災害訓練などで赤、黄、緑、黒などに色分けされたタッグを見たことはありませんか?
「治療を優先させるべき人は誰か」を見極めて、1人でも多くの命を救うために資源を投入するというのが、災害医療の考え方です。ライフラインもない被災地で治療はできないので、ヘリコプターなどで広域搬送する態勢も阪神淡路大震災を機に作られました。 救急医療で何よりも大事なのは時間との戦いです。心筋梗塞でも治療が30分以内で行われるのと、5時間経ってから行われるのとでは社会復帰する確率が全く違う。それは災害時も同じなわけで。現場がどんな状況でも、いかに早く適切な医療を受けられるかがとても大事なのです。 災害時はどのような看護師や医師が活動するのでしょうか。また災害医療に携わるには、どのようなスキルが必要になりますか?